Spiritとの対話
私は子供のころから
星をずっとみて
星をずっとみて
メッセージ、励まし、元氣を
貰っていました。
貰っていました。
15歳のときは
まだ何をやりたいのか
わからず
まだ何をやりたいのか
わからず
それでも進路を決める、
というプレッシャーで
泣いていました。
というプレッシャーで
泣いていました。
何かをやらなくてはいけない
何になりたいのか
言わなくてはならない
何になりたいのか
言わなくてはならない
それはある意味
『….になるために努力して
自分をその状態になれるよう
トレーニングする、
自分をその状態になれるよう
トレーニングする、
鍛えなくてはならない』
といった感じの
義務感
義務感
やらなければ
やらないことへの罪悪感
やらないことへの罪悪感
をさえ生み出し、
「自分が何をやりたいか
わからない」
わからない」
ということが、
「自分には価値がないの?」
という思いにまで
繋がる体験でもあった訳です。
繋がる体験でもあった訳です。
当時は息苦しい私立の女子校の
雰囲気に耐えられず
洋楽、Heavy MetalやThrash
を聴いて
雰囲気に耐えられず
洋楽、Heavy MetalやThrash
を聴いて
『この部屋の空間だけが
カプセルのように空を飛んで
外国にまで飛んでいけたらいいのに』
カプセルのように空を飛んで
外国にまで飛んでいけたらいいのに』
とずっと思っていました。
それに、信頼できるはず、
の自分の父への挫折感とか
の自分の父への挫折感とか
日本の大学に入ってから
理系から絵描きへの転向を
決めたときの
周りの保守的な反応とか
理系から絵描きへの転向を
決めたときの
周りの保守的な反応とか
色々な想いが重なる中、
友人の友人のところに
ホームステイさせてもらったことを
きっかけに
友人の友人のところに
ホームステイさせてもらったことを
きっかけに
アメリカに移ることに
なりました。
なりました。
当時の私は
アメリカの、寛大さ、
アメリカの、寛大さ、
『I am a painter. 』『Oh! That’s great!!』
のやり取りによって
単純に自分の自信とフィールドを
取り戻し、ようやく
単純に自分の自信とフィールドを
取り戻し、ようやく
自分のスペース
を謳歌しました。
毎日毎晩、絵の世界に没頭して
壁いっぱいのサイズの絵を描いて
壁いっぱいのサイズの絵を描いて
自分の観察する
シンボリックな世界
シンボリックな世界
を描いていました。
と同時に、ネイティブ・アメリカンの
文化、伝統、デザインに
ものすごく安堵感、懐かしさと
魅力を感じ、
文化、伝統、デザインに
ものすごく安堵感、懐かしさと
魅力を感じ、
そこにものすごい魔法と真実
を純粋に求めていました。
を純粋に求めていました。
実際、素晴らしいモダンな
ネイティブ・アメリカンの絵描きさん
に出逢い、
ネイティブ・アメリカンの絵描きさん
に出逢い、
沢山のインスピレーション
とビジョン
とビジョン
を彼から受け取りました。
しかし、中には
ネイティブ・シャーマン
といっている人でも
『本物ではないもの』
『純粋な光ではないもの』
『純粋な光ではないもの』
を扱っている人たちも
またいたのですが
またいたのですが
当時の私にはまだ
それが分かっていませんでした。
それが分かっていませんでした。
結果、つい最近まで
ある儀式によって
封じ込められていた
ある儀式によって
封じ込められていた
という現象があったことを
今の私のエネルギーの先生である
トレイシーさんに教えてもらい、
その封印をとってもらいました。
今の私のエネルギーの先生である
トレイシーさんに教えてもらい、
その封印をとってもらいました。
エジプトまでいって、
のことです
のことです
『エジプトは
アセンションの中心』
アセンションの中心』
となるところ
と聞きます。
と聞きます。
ピラミッドの中に入って瞑想したり
自分のエネルギーを
グラウンディングし、
自分のエネルギーを
グラウンディングし、
かつ、
エジプト固有のエネルギー
で身体に回路が開かれる
のは、見事です。
のは、見事です。
私はこうして、今は『本物』
に師として出逢えたので、
『波動を読む』
ことを教えて頂き、
に師として出逢えたので、
『波動を読む』
ことを教えて頂き、
エネルギーの低いものや
自分に合わないものには
自分から出向いていかない
自分に合わないものには
自分から出向いていかない
という選択ができるように
なりましたが、
なりましたが、
どれだけ多くの周り道をして
『本物』に出逢ったのか
『本物』に出逢ったのか
そして、ほぼ30年近く封印されて
難しい状況を体験してきたか
難しい状況を体験してきたか
を思ったら、
やはり自分の存在の意味は
『本物』のスピリットを
人々に伝えること、
スピリットからのメッセージを
翻訳すること
『本物』のスピリットを
人々に伝えること、
スピリットからのメッセージを
翻訳すること
それが私の魂が
真に望むことです。
真に望むことです。
この時期はまた重ねて
2次元の表現への行き詰まり
絵が描けなくなる
絵に呑まれる
絵が描けなくなる
絵に呑まれる
ことによって
ファイナルも提出できず、
ファイナルも提出できず、
更には交通事故も起こったりして
かなり揺すぶられた時期でした。
かなり揺すぶられた時期でした。
この時、『魂の自由表現』
である、『絵』がかけなくて
である、『絵』がかけなくて
一晩中絵から浮かんでくる
スピリットを追いかけ、
スピリットを追いかけ、
翌朝には
色が泥ドロに混ざったキャンバス
に直面させられ
自殺しかねない様な
本当に苦しい想いをしました。
自殺しかねない様な
本当に苦しい想いをしました。
そして、この
絵が描けない
というトラウマが、
そのあと20年近く
私を閉じ込め、
そのあと20年近く
私を閉じ込め、
常にハートの中では泣い国も変えながら
ある日とうとう日本の鎌倉で
ある日とうとう日本の鎌倉で
思いもかけなかった『音色』に
救われて
救われて
恐る恐るその音楽からでてくる
イメージ、光、色を
絵に描いてみることを始めて
イメージ、光、色を
絵に描いてみることを始めて
絵を描く自信を取り戻した、、、
『自分の気持ち、自分自身を
ストレートに表現できない』
ストレートに表現できない』
『純粋だと信じていたのに
そうではなかった、
期待への裏切りへのショック』
そうではなかった、
期待への裏切りへのショック』
が苦しく自由ではなかった自分が
今は
そうか!全ては宇宙の計らいだったんだ、、
と気付く
そうか!全ては宇宙の計らいだったんだ、、
と気付く
2次元で終わらず
3次元どころか、
5次元以上で
3次元どころか、
5次元以上で
目に見えない世界、
エネルギーを表現をする
ことに向かって導かれてきたことを
見せられたのです
見せられたのです
だからこその恩返しの
アンデスへのプロジェクト
アンデスへのプロジェクト
南米とネイティブ・アメリカン
と東洋の世界、気功、エネルギー
の世界のリンク
と東洋の世界、気功、エネルギー
の世界のリンク
に導かれてきたことを
今自覚しています、
今自覚しています、